---四国八十八ヶ所霊場会 阿波部会発行「和尚の心・徳島編/第16番 観音寺住職 坂東 博行」から---
ある雑誌に掲載された「親の愛」という提言を転載してみます。
『僕は親の恩ということを別に教えられて育ったものではない。親には孝行すべしということも,僕は別に教わったことはない。父に早く死なれた僕は両親を持った子供の味は知らない。2年と5ヵ月で父に別れた僕は父に対する記憶は何もない。初めから僕にとっては父は神であったが,本当の父というものの味は知らない。それだけ母の愛は充分味わった。
しかし僕は大きくなってから,自分がこの世に生まれた事実を一度も呪った事がないのは親への愛があるからだと思っている。これは理屈ではなく,実に大事な事だと思っている。自分が人間に生まれた事実を素直に受け取ることができたのは両親への愛のおかげだと思い,両親への愛が人生にとって実に大事なものだと思う。そして,この親子相互の愛があって,人生は実に厳粛な事実になり,自分が一個の人間の使命を感じることになるのだと思っている。親への愛,親の愛を本当に感じることができて,人間に生まれたことが厳粛な事実と感じることができ,一個の人間としての使命を果たせるだけ果たしたい気持ちになるのだと思う。
僕は父が僕を本当に愛していてくれた話を母や祖母から聞いて,今でもその話を思い出すと涙ぐむ。母の愛は自分で充分知っている。そして僕にとって父や母は神聖なものに思え,僕は親を本当に愛している。この相互の愛があって,人生は真面目な事実になり,本気になって生き抜きたくなる。人生は真面目なもの,真剣に生きるに値するものと思う。その第一歩は親の愛と親への愛だと,僕には思える。これは理屈ではなく,深い事実に思われる。僕は,この事実を知って生まれただけのことはして死にたいと思っている』
私は大きな感動をもってこの一文を読みました。これが人間の本当の生き方である。
このように親の愛を感じ,親を愛しますと生きていることの歓びがわき,人間の使命が感じられてくるのであります。したがって恩とか孝行とかいうことは人に強いるものではなく,自分自身で感じるべきものであります。
おわりにお大師さまの言葉をお伝えしておきます。
「我を生み我を育つるは父母の恩なり,天よりも高く地よりも厚し,身を粉にし命を損しても何れのときに報ずることを得ん」。
それで親の恩ということが嫌なら,愛といい孝行という言葉が気に入らぬのであれば,親を愛するといったらよいでしょう。
(平成21年6月1日発行 第303号 情報紙「へんろ」引用)
私が四国八十八ヶ所遍路を始めたきっかけは,元気で,明るく,働き者の母の死でした。
その遍路旅の中で,ある札所のご住職から「そんな事をして何になる。それより,あなた自身が幸せになりなさい!」とお説教を受けました。
おそらく「今の状態は,自分で想像して,自分で苦しんでいるだけ。だけど,母の体は半分ここにある。供養の遍路旅なので,心もここにある。ならば,それを幸せにしないでどうする!」と言われていたんじゃないかなと思います。
結局この事が,私が四国八十八ヶ所公認先達になるきっかけとなりましたが,その根底にあるのは,親から受けた愛,親への愛なのかな・・・
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